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わたしを探して旅をする

ものすごーく私的な観劇感想文なぞ

わたしは真悟(20160108ソワレ)

333ノ テッペンカラ トビウツレ!!!

 

工場見学で出会った小学6年生の悟と真鈴は,

産業用ロボットに言葉や情報を与えていく。

そして,夏休みの終わり。

大人によって引き裂かれそうになった二人は,

その「愛」をまっとうするために

結婚して子どもを作る決意をした。

子どもの作り方がわからない悟に産業用ロボットが出した答えは,

「333ノ テッペンカラ トビウツレ」

大人たちがふもとで大騒ぎする中,東京タワーから飛び出す二人。

その頃,二人の知らない場所で奇跡が起きていた。

 

人知れず自我が生まれた産業用ロボットは,

従業員たちを振り切って工場から逃げ出した。

そして,自らを悟と真鈴の子だと理解し,

自らに「真悟」という名前を与えて,

父の言葉を母に伝える旅に出る。

母の最後まで言えなかった言葉を父に伝えたいと願う。

 

最後には,「アイ」だけが残った。

 

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

 

舞台を見ていてぼんやりと思ったのは,

美しいなぁということだった。

最後のシーンがとても温かくて美しく感じたというのもあるが,

ダンサーさんの動きとか背景に出てくる身体の曲線とかが

なんか少し不気味でもあるけれども,美しいのだ。

その不気味さと美しさと温かさが,

誰もが経験する子どもであるワタシの喪失という出来事を

悲劇的に,しかし美しく,温かく包んでいる作品だと思った。

ちょっとこねくりまわして考えすぎな言い回しだろうか。

でも,いわゆるハッピーエンドではないのだろうが,

とても温かい気持ちで観劇を終えたのだ。

 

そして,なんだかいろんなことが頭をよぎっていった。

 

私とは何か,という問いは,

まさに大人になっていく過程で突きつけられる問いだ。

自我同一性の確立とか言うと仰々しいだろうか。

 

子どもの頃のワタシと,大人の私は,同じわたしなのだろうか。

たぶん,違うのだ。

悟と真鈴もきっと,彼らが予感したとおり,

333ノテッペンにいたときの彼らではなくなった。

彼らは,間違いなく彼らが育てた子どもである「真悟」を

見つけることができなかった。

あのときの光のようなまっすぐさと強さは,

その後の彼らにはない。

彼らの記憶は,温かくも薄れていった。

かたや真悟は,自らに名前を与え,使命を与え,

それをどこまでもまっすぐに全力でまっとうした。

これが機械と人間の違いなのだろうか。

それとも,子どもと大人の違いなのだろうか。

真悟が倒れるそばで穏やかに遠くを見つめる悟役の門脇麦さんの

少しだけ大人びた表情が印象的だった。

後先を考えずにどこまでも突き進んだ子ども時代は,

気づけなかった奇跡を残して終わっていき,

あのときのワタシたちはもういないけど,

真悟が届けた「アイ」だけは,そこに残ったのだ。

 

そこからの最後の場面がシンプルで美しいんだ。

子どものままの二人が子どもらしくブランコで遊び,

それを真悟が見守り,そして,背中を押し続ける。

ここんとこプレビューのときは

正直ブランコをきれいに操り切れていなかったのだが,

きれいにそろうと本当にきれいに終わるのだと思った。

 

突然話題を変えるが,

私は,成河さん演じる真悟が「わたしは,真悟!」と名乗るとともに

真悟本体(ロボット部分)を操る鈴木さんと引間さんの

顔を覆うマスク(?)をひっぺがす演出がとても好きだ。

私は名前を付けるということは,

その物や事象の存在を認める(存在する場を与えると言ってもいいかもしれない)

ことと密接につながっていると思っている。

だから,うまく言えないのだが,

名前が生まれるとともに個性がある何かになるその演出が,

とてもしっくりきて,とても素敵なことに感じられたのだ。

そういうところもまた,美しかった。

このあたり考え出すとわけのわからない方向に行きがちなので,

ここらあたりでやめておく。

 

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

今回見ていて惹きつけられたのは,やはり真悟ズだろうか。

本体を操る引間文佳さんと鈴木竜さんの動きがとてもなめらかでいいし,

何より自我を演じる成河さんとなんか通じ合ってる感じがするのだ。

互いの動きが,なんとなく,何度となく。

 

あとは悟の門脇麦さん。

ところどころ,本当にマンガの悟と同じポーズをしていて,

昭和の男の子感がとてもかわいかった。

 

昭和といえば,真悟本体の造形やそこここの昭和テイスト,楳図テイストに

原作への敬意を感じる作品でもあった。

 

あと,最初の333シーンで

群衆としてがっしがしに踊る大原櫻子さんにもびびった。すごいな。

 

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

 

で,だ。

わたし的な本筋はここからだ。

成河さんが,美しいです。

うだうだとうざいことを語ったが,

正直なところ,素直な感想は大半がこれだ。

生まれたところでしょ,

自分の身体感覚をつかむところでしょ,

シカクがサンカクになってマルになってなお高みを目指すところでしょ,

母を助けるところでしょ,

父に存在を否定しないでとすがるところでしょ,

大口開けてぶっ倒れてからの,あの美しいラストでしょ。

すごく観客からの見た目も意識した表現をしているように思う。わかりやすい。

そんでロボットの自我という抽象的で異質な存在なんだけど,

全部としっかりとつながりを持って存在しているんだよ。

なんならつないでるんだよ。場面を。作品を。

 

一般人が日常生活で使い得ないような部分の筋肉を使っているに違いないと思わされ,

関節の数は私と同じかな,と数えてみたら同じだなとか時折思考を飛ばしつつ,

そんであぁ美しかったと思って息をついていると,

カテコでちょっとおどけた感じのロボットダンスをしだすという・・・

なにそのギャップーーーー!!

おかわりーーー!

というわけで,今週末もまた行きます。

 

 

はーー長い文章書いた。